今もって竹は不服にござります 中川喜代子
題詠「竹」の圧倒的最高点句。「今もって」なのだ。意味ではなく、この言葉の持つ味わいは他の言葉に代え難い。「ござります」という特殊な語に嫌味が感じられないのは、「今もって」の効用だろう。「今もって不服にござります」という恨みも、真摯であって重くない。そもそも「竹」と「不服」の取り合わせがおもしろい。竹は不服など言いそうにないから。竹を割ったような性格なのだし、竹林の光は何といっても美しい。薮になら不服もあるかもしれないが、竹と不服は遠い。しかし、この17音は竹にだって不服があって然るべきだということを穏やかに納得させてしまう。不思議な説得力を持つのである。一読したときから、わたしは「竹」にしゃきっとしたお婆さんの姿を重ね、お婆さんの声を聞いていた。太宰治の子守りの「たけ」のイメージを気づかずに重ねていたのかもしれないと、ふと思い当たった。
by nezimakikukai
| 2018-03-13 22:12
| 火曜日にはねじをまく。
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