月刊 ★ ねじまき 

カテゴリ:火曜日にはねじをまく。( 169 )

アリスの頬もデーモン閣下の頬も。

6月の題詠は「頬」。「頬」の文字を含む句が20句ずらりと並んでいる様は何やらおもしろい。まさに頬、頬、頬の図である。普段は見られない「キス」だの「恋」だのという単語も飛び出して、「頬」という語の持つ力を改めて知ることとなる。ふっくらと紅をさしたアリスの頬もあれば、白地にグレーで区切られたデーモン閣下の頬もある。なかなかやるなあ、頬。20句の中でもっともシンプルだと思えるこの句に心ひかれた。

頬骨のカーブが同じ顔二つ    猫田千恵子

この二つの顔は血縁者だろう。「頬骨のカーブ」という繊細な部分がまさに同じなのである。だからどうというわけでもなく、作者は同じ顔が二つあるよと言うだけだ。それで十分伝わってくるものがあることがおもしろい。同じだとうれしいとか嫌だとかでもなく、同じだという厳然とした事実がある。頬骨のカーブや、薬指の傾き方や、背中の肉の付き具合など、同じとしか言えない何かに気づいたときの感慨がまざまざと伝わってくる。
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by nezimakikukai | 2017-07-04 23:44 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

靴眠るあるじの足の形して    丹下純

どうということのない日常が気負いなく切り取られている。靴は玄関に脱がれたままの形で置かれている。人は寝静まった頃だろう。そこには書かれていない薄暗い闇と薄明るい光まで感じられる。「あるじ」という言葉が靴の持ち主の不在を鮮やかに意識させる。句会での読みでは、「あるじ」は亡くなった方だという読みと、そうではないという読みとがあったが、それはどちらとも考えられるし、読者に委ねてよいと思う。「眠る」という言葉が死を連想させるのだと思われるが、必ずしも死者に限る必要もないだろう。玄関で眠る靴には確かに「あるじ」がいた。そこには「あるじの足の形」が明らかに存在する。しかし、「あるじ」は不在である。その不在または喪失の感覚がこの句の中心ではないだろうか。読んだときに、ネムルのルからアルジのル、アルジのアからアシのアへとつながる音とリズムが心地よい。わかりやすい言葉で場面をわかりやすく描きながら、奥行きがあり、受け取ることのできる情報量の多い句である。
丹下純さんは、5月からねじまき句会に参加したニューフェースである。とは言っても、朝日新聞の東海柳壇の常連でもあり、お名前をご存知の方も多いにちがいない。純さんの参加でねじまきはいっそうパワーアップしている。
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by nezimakikukai | 2017-06-27 23:12 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

桑原武夫さんです。

文学作品は、それ自体として独立した客観的な一つ一つの「もの」である。近代リアリズムに立つ小説は、とくにそうである。だから、その作品を作者がいかなる状況で、いかにして書いたか、またその苦心などを知ることは、もちろん悪いことではないが、それらは作品享受のために不可欠な前提条件ではない。つまり、すぐれた作品は、そういうことを何も知らずに、直接ぶつかってわかり、また味わえるはずなのである。
                       桑原武夫「文学入門」より。

小説に限らず、川柳や俳句や短歌でも同じことが言えるだろう。おとといの日曜日の句会のあとに、このようなことについて話し、そのあと行ったライブで歌詞についてのMCを聞きながらまた同じようなことを思った。そして、きょう、いかにもタイムリーに桑原武夫氏の文章を偶然に目にした。わりと、こういうつながり方は多いように思う。
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by nezimakikukai | 2017-06-20 23:31 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

ちぇっ!

轢いた時ペットボトルがちぇっと鳴る    猫田千恵子

第140回雑詠の句である。ペットボトルは「ちぇっ」とは鳴らないだろうと思うのである。ベリ!とかバリボリ!とか、そんな感じじゃないだろうか。だがしかし、「ちぇっ」が圧倒的にいい。音のリアリティーなんかは抜きにしてというより、そんなものはどうでもよくて、「ちぇっ」でなければ面白くない。リアリティーはないけれども、すんなり受け入れられてしまうのも面白い。ペットボトルがアニメのキャラクター化して表情豊かな顔を持つ。もう「ちぇっ」以外には考えられない。「ちぇっ」と聞こえなかったのに、「ちぇっ」を聞き取ってしまった猫田さんは素晴らしい!・・・とわたしは思っている。
ところで、「ちぇっ」って実際にはなかなか言わない言葉(出さない音)じゃないのかなあ。ここに8回も「ちぇっ」があることもなかなか不思議である。
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by nezimakikukai | 2017-06-13 23:08 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

5月の初参加。

5月の句会にも初参加がお二人。奈良県から岡谷樹さん、愛知県刈谷市から丹下純さん。樹さんと純さん、一文字ネームのお二人はともに女性である。例のごとく、初参加であろうがゲストだろうが、遠慮なく選んだ理由も選ばなかった理由も言っていただく〈ねじまき流〉で会に加わっていただいた。5月の句会は、いつもの会場がとれなかったので、名古屋市の南のはずれ、緑区の鳴海にある生涯学習センターが会場である。鳴海は、芭蕉もたびたび訪れて門人の下里知足(鳴海六俳仙の筆頭)らと連句を巻いた土地であり、東海道の宿場町としての歴史も古い場所なのだが、今回はご案内をする時間もなくて、奈良からしかも初参加の岡谷さんには何やら申し訳ない気持ちである。新しい人が加わると、風がすーっと流れるように、生き生きとしたものが流れ込むような感じがする。

封しても漏れ出す海の物語     岡谷樹
またしまういつか伝えるさようなら 丹下純
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by nezimakikukai | 2017-06-06 22:12 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

憎い順。

足の爪憎い順から切っていく   北原おさ虫

「足の爪」だから「憎い順」が活きるのだろう。親指の爪はやたら固いし、それ以外の爪もかっこいいかたちをした爪がなかなかない。小指なんてかわいそうなくらい縮こまっている。「憎い順」は字義通りの憎さというよりは愛着も含んだ憎さのように思われる。「足の爪」と「憎い順」の組み合わせが票を集めた理由だろう。そして、たぶんこのおもしろさには、選んでいない人も反応しているはずである。では、なぜ?足の指の爪を切る順番はいつも決まっていて、しかも、親指→人差し指→中指→薬指→小指のように、順番というよりは順々なので、「憎い順」のように順が設定されることがぴんと来ないのだ。言葉の次元では楽しめても、現実的にはひっかかってしまうということだろうか。もちろん、選んだ側の人の中には、この決まりきった順々を「憎い順」とみたところを評価する人もいる。この句に限らないことだが、選んだ人もそうでない人もかなりのところまで共通に評価していて、自分の選の中に入れるか選からもれるかが、ほんのちょっとしたことで分かれることがある。
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by nezimakikukai | 2017-05-30 22:54 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

「川柳 カモミール」

青森県八戸市のカモミール句会から「川柳 カモミール」が発行された。真っ白なカモミールの花の色をした1冊だ。つるつるの手触りはカモミールの清浄さだろうか。ほっと心を癒してくれるカモミールティー。カモミールには「逆境の中のエネルギー」という花言葉もあるらしい。発行人は笹田かなえさん。笹田かなえさんは、ねじまきとのご縁もひとかたならず深い方だ。同じくメンバーの守田啓子さんと一緒に、ねじまき句会にゲスト参加してくださったこともある。第1号は、各メンバーの句に「連衆」の谷口慎也さんと「おかじょうき川柳社」のSinさんの句評も添えられていて、とても興味深い。
かなえさん、カモミール句会のみなさん、「カモミール」創刊、おめでとうございます。真っ白な表紙を開いて、ゆっくり読ませていただきます。
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by nezimakikukai | 2017-05-23 22:59 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(1)

事前投句と選句。

ねじまき句会では、題詠と雑詠を1週間前に投句し、題詠だけは無記名の句稿がメーリングリストに流れて各自が事前に選句しておくシステムが定着してきた。このやり方のよいところは、じっくり読める点である。わからないこと、不審な点は存分に調べたうえで考えることができる。なぜその句を選ぶのか、また選ばないのかということも自分なりに整理して考えたうえで句会に臨むことができるところがいい。自分自身の選句システムを自分で意識できると思うからである。また、雑詠に関しては、句会当日に初めて句と対面して選んでいくので、題詠の選句とは違う何かが働く点もおもしろい。5月の題詠の句稿が、今日流れてきた。全20句。来た!来た!来た!今月は5句選。日曜日の句会までじっくり楽しむことができる。
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by nezimakikukai | 2017-05-16 23:20 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

ああついに生姜の匂いする頃に  樋口由紀子

1998年創刊の「MANO」が終刊を迎えた。由紀子さんは「MANO」編集発行人である。メンバーは加藤久子さん、小池正博さん、佐藤みさ子さん、樋口由紀子さん。加藤さんと佐藤さんには、去年、杜人の句会でお目にかかった。小池さんと樋口さんには、「川柳カード」でお世話になった。創刊メンバーは、石部明さん、倉本朝世さんと加藤さん、佐藤さん、樋口さんの5人。わたしがライブで知らない川柳の時代である。樋口さんは、樋口さんと言うより由紀子さんと呼んだほうがしっくりくる。あまりゆっくりお話しさせていただく機会もないのに、お目にかかるたびに久しぶりに従姉のおねえさんに会った気分になる方だ。わたしが一方的にそう思っているだけなのだけれど。
掲出句は、「MANO」第20号の〈姉の逆立ち〉20句の冒頭の句。「ああついに」という実際にはなかなか言いそうにない仰山な出だしが、「生姜の匂いする頃」につながるのが面白い。「生姜の匂い」は植物としての生姜なのか、食物としての生姜なのか。「頃」という表現は植物を思わせるが、わたしには食べ物としての生姜の匂いしか思い浮かばない。新生姜の甘酢漬けをつくるときに、茹で上がった生姜をざるにあげると、さーっといい匂いがたちのぼる。自分がまるごと、すーっと清浄になるような感じがする瞬間である。そんな頃を思い浮かべている。
本棚から、「セレクション柳人・樋口由紀子集」を取り出した。わたしが川柳を初めて間もないころに出された句集である。いま開くと、新たな由紀子さんとの出会いがあるような気がする。そんな予感がする。
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by nezimakikukai | 2017-05-09 23:23 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)

?(クエスチョンマーク)のこと。

握手する?手袋外したミッキーと    魚澄秋来

句会で論議の対象になったのがこのクエスチョンマークである。選んだ人の第一声が「このクエスチョンマークはいらないのですが・・・」である。待っていましたとばかり、選ばなかった人から「そうでしょ、だから選ばなかったんだから。」と攻め立てられる。「いや、だから、クエスチョンマークはないものと思って読んで・・・。」「それは、だめでしょ!」「でも、手袋を外したらどうなってるのか、メチャこわくないですか?何が出てくるかと思うと、こわいですよ。」「わかりますよ、わたしだってクエスチョンマークがなかったら選んでましたから。」「でしょ?」「でも、クエスチョンマークはあるんだから、そこに目をつぶるのはナシですよ。」・・・という具合。
ともあれ、ねじまき句会においては、「?」がないほうがよいということで意見の一致をみたのである。
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by nezimakikukai | 2017-05-02 22:54 | 火曜日にはねじをまく。 | Comments(0)



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