春の夜がよくしみこんだ肺である 瀧村小奈生
自分の句をとりあげるのは気が引けるのだが、それはさておき。句会の後、コメダから東別院の駅に向かって歩きながら、最初につくったときは「春の夜が左右の肺にもぐりこむ」だったという話をしたところ、れいこさんが「もぐるのはダメでしょ。」桐子さんが「こっちのほうがずっといい。」と即答してくれた。推敲してよかったと、ほっとする。句会に作品を出すときに、あれこれ考えてひねくりまわした挙句、改悪してしまう場合もある。たいていは判断がつかなくなった頭でしどろもどろの選択をするからだ。だから、こんなふうに言ってもらえると、あきらめなくてよかった、間違った選択をしなくてよかったという気持ちになる。いささかの迷いが残ったのは「である」。3音の不足を補うための苦し紛れの「である」だと指摘されたら、返す言葉がない。いちばん邪魔にならない消極的な選択だったという点で不安が残っていたから。結果がどうであれ、自分にとって動かない選択をいつもできるようになりたいと願う。
by nezimakikukai
| 2015-03-24 17:04
| 火曜日にはねじをまく。
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